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昔、子どもたちがまだ学校というものに通っていなかった時代には、子どもたちは「お手伝い」を通して大人から様々なものを受け継ぎ、「仲間との遊び」を通して、人と人とのかかわり方を学んでいました。

一人前の社会人になるためにはそれだけで十分だったのです。

そして、明治になって「学校」という制度が出来ても、昭和二十年代ぐらいまでは、学校以外の場ではそれに近い状態が続いていました。

でも、昭和三十年代ごろから高度経済成長が始まると、大人たちは、家のお手伝いや仲間との遊びよりも、学校での「お勉強」の方が大切だと考えるようになりました。

そして、それまでよりも子どもたちをお勉強に追い立てるようになりました。

車も増え、それまで子どもたちの遊び場であった路地裏にまで車が入り込み、子どもたちを排除し始めました。

子どもたちの遊び場であった「池や林があり、虫がいっぱいいるような空き地」は整地され家が建ちました。

整地されなくても「危険」ということで柵が立てられ、入れなくなりました。

何百年と子どもたちの遊びを受け入れてくれていた神社なども、子どもを排除するようになってきました。

その代わりに「公園」というものが作られるようになってきましたが、その公園でも子どもらしい遊びは禁止されています。

大人が子どものために作った公園では、大人が用意した遊具で、大人が決めたルールに従って遊ぶことしか許されていないのです。

そのような変化の中で、「遊び場」と「遊ぶ時間」を失った子どもたちは群れを作ることも出来なくなり、必然的に「仲間」を失いました。

そして、社会全体がパーソナル化される中で、子どもたちの遊びもパーソナル化されてきました。

そして、一人でも遊ぶことが出来るようなおもちゃや機械がどんどん開発され、子どもたちをターゲットにして売り出されるようになってきました。

それまでは、大人の経済活動とは無縁だった子どもたちも、しっかりと大人たちの経済活動の中に組み込まれるようになったのです。

いまや、「子ども産業」は非常に大きな産業になっています。

さらに大人と子どもの間の壁もなくなり、子どもも大人も同じ情報に接し、同じ遊びをするようになりました。その結果、「子どもの心とからだの育ちに寄り添うような遊び」は失われてしまいました。

自然の中で、木々や草花や虫たちと対話するような遊びも、ごっこ遊びも、水やドロンコと遊ぶ遊びも、木登りやがけのぼりのような遊びも、大けがをするかもしれないような危険な遊びも消えてしまいました。

そして、安全で、清潔で、楽で、しかも刺激が強い遊びをお金を出して買うようになって来ました。

今の子どもたちにとっての「仲間」とは、同じものを持っている者同士、同じ情報を持っている者同士、一緒に行動する者同士のことであって、お互いに助け合ったり、対話したり、遊びを作ったり、切磋琢磨したり、ケンカしたりし合うような関係の「仲間」ではありません。

悩みを相談することも出来ません。

非常に形式的なんです。

じゃあ、社会の変化とともに子どもたちが失ったものを補うような形で「学校のあり方」が変わってきたのかというと、学校は相変わらず知識を覚えさせるだけの場のままです。

それだけでなく、お母さん達に協力させて、家庭の中まで学校化しようとしています。

その結果、子どもたちは「居場所」や、「仲間」や、「生きる喜び」や、「自分の心とからだを成長させる場」や、「親子の信頼関係」や、「家族の笑顔」を失ってしまいました。

今、多くのお母さんたちの心配事は子どもの成績のことばかりです。

私はここに書いたような変化をつぶさに見ながら成長してきました。

~転載終了~